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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)2415号 判決

申請人

福山健

外七名

申請人ら訴訟代理人弁護士

岡邦俊

外二名

被申請人

株式会社光文社

右代表者

小保方宇三郎

右訴訟代理人弁護士

松崎正躬

外二名

主文

申請人らが被申請人に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

被申請人は、昭和四五年一一月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二五日に、申請人福山に対し七五、八二〇円、同川本に対し七五、七一〇円、同野村に対し六二、二二〇円、同上野に対し六一、八一〇円、同小出に対し六九、七二〇円、同神戸に対し八六、九六〇円、同柿田に対し六九、九五〇円、同友田に対し五七、五一〇円の各割合による金員を仮に支払え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一、申請の理由

(一)  被申請人(以下「会社」ともいう。)は、書藉・月刊誌・週刊誌などの出版物を編集・販売することを目的とした株式会社であり、肩書地に本社を置き、申請人らは、いずれも昭和四五年一〇月三一日(以下単に「月日」のみを記載したものは、昭和四五年である。)の前から会社に雇用されていた。〈中略〉

三、抗弁

(一)  会社には、一〇月三一日当時、会社の従業員で構成されている光文社労働組合(以下「光労組」という。昭和三七年二月八日結成)、会社女性自身グループ編集室に所属する記者で構成されている光文社記者労働組合(以下「記者労組」という。昭和四〇年一〇月一五日結成)、学生雇員らで構成されている光文社臨時労働者労働組合(以下「臨労組」という。四月二七日結成)のほか、会社の従業員で構成されている全光文社労働組合(以下「全光労組」という。六月二七日結成)があつた。

申請人らの一〇月三一日当時における組合役職は、次のとおりである。

福山 光労組執行委員長

川本 同 書記長

野村 同 書記次長

小出 同 執行委員

上野 光労組執行委員

神戸 同 前執行委員長

柿田 記者労組執行委員長

友田 同 書記長

(二)  会社従業員に適用される「就業規則」の懲戒条項の定めは、次のとおりである。

「第三五条

次の各号の一に該当するときは、重謹慎または懲戒解雇とする。

1 謹慎が数度に及んでも改心の情がないとき

2 重要な経歴をいつわり、または、不正の手段で雇用されたことが発覚したとき

3 事業上重大な機密を社外にもらし、会社にはなはだしく不利益を与えたとき

4 職務を利用して私利をいとなみ、または会社にはなはだしく不利益を与えたとき

5 故意または過失、もしくは怠慢により、会社の名声をいちじるしく傷つけ、あるいは会社の施設物品を破損滅失して、会社に重大な損害を与えたとき

6 越権専断の行為により、会社に重大な損害を与えたとき

7 正当な理由がなく無届欠勤が一か月に達したとき

8 その他、前各号に準ずる理由あるとき」

会社女性自身グループ編集室に所属する記者に適用される「『女性自身』記者就業規則」の懲戒解雇条項の定めは、次のとおりである。

「第三〇条

次の各号の一に該当するときは、解雇とする。

1 数度、譴責または謹慎に該当する行為を行なつたとき

2 重要な経歴をいつわり、その他詐術を用いて雇用されたとき

3 編集または業務上の重大な機密を社外に漏らしたとき

4 業務命令に不当に反抗し、職場規律を著しく乱したとき

5 故意または過失、もしくは怠慢により、会社および「女性自身」の名声を著しく傷つけたとき

6 許可なく会社の施設物品を社外に持ち出したとき、および破損、滅失して会社に重大な損害を与えたとき

7 職務を利用して、不当な金品を受けたり、要求し、もしくは饗応を受けたとき

8 越権専断の行為により、「女性自身」に重大な損害を与えたとき

9 会社および「女性自身」の体面を汚すなどの刑罰法規に違反する行為があつたとき

10 その他、前各号に準ずる理由あるとき」〈中略〉

(8) 第二次馬場事件(六月一日)……申請人福山、同川本、同野村、同神戸、同柿田、同友田関係

前同時刻頃、馬場取締役は四階から下りて来たところ、玄関ホールに居合わせた多数の組合員に妨げられ、揉みくちやにされながら四階役員室前廊下まで連れ戻された。組合側は、申請人川本が指導し、役員室前廊下を埋めつくした約四〇名の組合員は同所に坐り込み申請人福山、同野村らは役員室内に入り、糸原社長室長、小林総務部長らの動向を監視した。

役員室入口扉前に立たされた馬場取締役は、組合員から、「団交を開く気があるのか。」、「あんたを見殺しにして帰つた三人は、何処へ行つたのか。」、「団交をやらない理由を聞くまで帰さないよ。」など脅し文句を使つて吊し上げられ、椅子に坐らされた後も、「馬鹿でも役員だから、こいつ一人をとつちめよう。」、「お前のような馬鹿は見すてて、三人の役員はさつさと帰つちやつたよ。」などの野次や罵声がのべつまくなしに飛び、疲労困憊に達した同取締役が、顔面蒼白となり、組合の要求に絶句するや、「馬場さん、あんたのそんなポーズは、我々には底が見えているから駄目だよ。気障な演技はやめなさい。」との発言もあり、役員室内からこの様子を見ていた社長室長らが見かねて、「馬場さんは昨夜一睡もしていないから帰してあげてくれませんか。」、「これではまるで大衆団交じやないですか。」と注意したのに対し、組合員らは口々に大声で「余計な口を出すな。」などと騒ぎ立て、これを聞き入れず、かような状態は午後七時三〇分頃まで続いた。

(9) 第二次五十嵐事件(六月三日)……申請人福山、同川本、同野村、同上野、同小出、同神戸、同柿田、同友田関係

六月三日午後一時四五分頃、申請人ら全員は、他の組合役員と共に、会社の制止・警告を無視して役員室に押しかけ、「団交は何故やらないのか。」、「社長を団交に出せ。」と要求し、会社側から「あとで返事する。」と言われたのに、午後二時頃、会社の返事がないという理由で、役員室を通り抜けて社長室へ押し入つた。社長室で業務打合わせ中の会社役員らは、「会社側の団交要員に変更はない。それを承知なら、六月四日午後一時から三時まで団交をやる。」(五月二九日の団体交渉の際、会社側は馬場、加藤、藤掛の三取締役のほか、大城監査役、古沢顧問、小林総務部長、牛久総務部長代理以上合計七名が出席したところ、組合側は、大城監査役以下四名の出席は認められないと主張し、右七名を固執する会社側と物別れになつた)と答え、更に、「入口から一歩でも入つたら問題ですよ。」と警告したが、組合側はこれを無視してじりじりと押し入り、馬場、加藤取締役らが、「ここは社長室です。出て行つて下さい。」と命じても、「ここは会社の建物だ。何が悪い。おれたちの自由じやないか。」と答え、更に、組合執行部に誘導された組合員多数も社長室の二か所の入口からなだれ込み、同室に入りきれない組合員は、隣接する役員室及び役員会議室を占拠する状態となつた。組合員の怒号・罵声が飛ぶ喧騒の中で、組合執行部の役員はそれぞれ矢次ぎ早やに、「何故社長は団交に出ないのか。」、「明日の叙勲パーテイーはメチヤメチヤにしてやるからな。」(五十嵐社長ら出版関係者の叙勲祝賀披露パーテイーが、日本書藉協会などの主催で、翌四日日本出版クラブで開催されることになつていた。)など威嚇じみた発言をして会社側に即答をせまり、たまりかねた加藤取締役が、「いま、役員会議中だ。まるで不法侵入じやないか、出て行つてくれ。」と叫ぶや、申請人野村らは、「あんまり威張るな、態度が悪いぞ。」、「こいつの顔をよく見ておけよ、興奮しやがつて、重役づらするな。」と怒鳴り返し、組合員の怒号の中で発言のしようもない会社役員に対し、申請人野村は、「こいつら頭の悪い野郎どもだな。こんな連中は大衆団交で吊し上げろ。」という趣旨の、申請外神保は、「なんで黙つているのか。お前らは唖か、おーい、みんな、この連中の阿呆づらをよく見ておけ。」という趣旨の、申請人福山は、「五十嵐さん、どうです。ドスをもつて刺し違えてもいいですよ。」という趣旨の、発言をそれぞれした。更に、申請人上野、同川本、同神戸、同友田らはこもごも五十嵐社長に対し、「あなたの叙勲パーテイーがどうなるか覚悟して下さいよ。あなたは折角のパーテイーに出られなくなりますよ。」と、怒号・罵声をまじえて脅し、「便所へ行きたい。」という同社長に対して、組合執行部は、組合員に「逃げられないようについて行け。」と指示して便所の往復をつけさせ、組合側は、以上の状況を記者労組所属の組合員三名に指示して撮影させたが、うち一名は、五十嵐社長のすぐ前にあぐらをかき、約五〇センチの至近距離から同社長を撮影するなどの嫌がらせをした。かようにして、組合側は、午後二時頃から同六時三〇分頃までの間延々四時間三〇分に及び、五十嵐社長、馬場、加藤、藤掛各取締役の四名を社長室へ監禁状態にしたところ、この間外部からかかつてきた四回の電話のたびに、申請人川本、同野村らは受話器をとつた藤掛取締役に、「おい、電話番、受話器を取れよ。」、「何処からだ。」と発言し、五回目は申請人福山が自ら受話器をとり、「講談社の小保方さんからだよ。」と言つて藤掛取締役に取り次いだこともあり、午後六時三〇分頃五十嵐社長が組合に対して、「団交に社長が出るかどうかを二時間後に返事しよう。」という趣旨の回答をしたので、組合側は全員漸やく引き揚げた。〈中略〉

(22) 「闘争新聞」の編集・発行……申請人神戸関係

申請人神戸は、組合側が発行した「闘争新聞」(四月二〇日第三号から一〇月三一日号外まで)の編集及び発行の責任者であり、同新聞は、単に会社従業員にとどまらず、会社付近また駅頭でも公衆に配布されたところ、これが記事内容は、左記のとおり、違法な争議行為を煽動し、会社役員や第三者を個人的に侮辱し、その名誉を著しく傷つけるものが少なくなかつた。その主な内容を摘記すれば、次のとおりである。

(イ) 煽動的内容

① 四月二八日発行号(疎乙第三号証の八)において、四月二二日申請人ら組合員約二〇名が赤坂東急ホテルで「週刊女性自身」の編集作業中のフリー記者の業務を妨害した件について、「会社がフリーを使つて『女性自身』を出すならば、そのフリーの人たちに、今後、組合は仕事を頼まない」との記事を掲載して、業務妨害を煽動した。

② 五月七日発行号(疎乙第三号証の九)において、会社が「週刊女性自身」を発行することは、「組合弾圧であり(中略)われわれは、本日以降の大衆団交において(中略)悪らつな重役たちを徹底的に追及し、われわれの労働なしには一切の会社業務は行なわないという原則を、はつきり彼らの頭にたたきこもう、それでも彼らが否というならば、もはや彼らはわれわれには必要ない」との記事を掲載して、業務妨害を煽動した。

③ 六月一五日発行号(疎乙第三号証の四六)において、組合側が執筆者に対して会社の出版物に対する執筆拒否を要請した件について、「会社側を全面包囲しよう(中略)今週から、全寄稿家に遊説隊が出発する。われわれの闘争に対する理解と支援を求め、できることならば、暴力団が取締役に就任しているような会社のインチキ出版物には、いつさい執筆を拒否するという約束を獲得しよう。そうすることによつて、会社側はきわめて具体的においつめられる」との記事を掲載して、業務妨害を煽動した。

④ 前掲四月二八日号において、四月二七日発足した「重役撃滅隊」について、「二七日発足した〈重役撃滅隊〉はただちに行動に入つた。重役にピッタリ密着し、とことん無責任を追及するかまえで役員室入口にピケをはつている。伊賀、黒崎両重役がトイレへ行けばピケ隊もトイレへ。もはや先週の状況のように彼らの〈逃亡〉は許されないであろう(もつと「トイレ」へ行け……とピケ隊から声あり」との記事を掲載して、会社役員に対する業務妨害を煽動した。

⑤ 五月二四日発行号(疎乙第三号証の二五)において、「重役撃滅隊報告・隊長他二五名が近くの小学校の正面前に集結。五月晴れの中、全員イエイエ行進で藤岡宅に到着、門の鍵は閉まつていない。団交員四名がベルを押すうちに、ほかの全員は庭に入り込む。誰も出て来ない。庭からガラス越しに中を見ても人の気配はない。“近所へ買い物か”“さては昨日の家庭団交の知らせで逃げ出したか”」との記事を掲載して、不法行為を煽動した。

⑥ 五月二三日発行号(疎乙第三号証の二四)において、「黒崎前重役攻撃隊の記・総勢二〇名、午後二時前に沼袋の黒崎邸に着く。静かな午後の住宅街に、大の男たちがぞろぞろ。大いに目につく、呼リンで奥方が登場。彼女の態度は、気持ちが悪いほど低姿勢。三つ指をついて“一〇日に医師から心臓が悪化し、入院したとの電話がかかつたきり、全く音沙汰がありません。ほんとに家には居ないんです。申しわけありません。すみません……”とくりかえすばかり。「ダンナが一〇日以上も入院をして点滴をするほど悪いのに、奥さんがその病院も知らないのはおかしいではないか。あなたが、もし居所を知つていたり、家にいるのに隠していたりすると、あなたも同罪だ。われわれはあなたを許しませんよ!とおどすと(後略)」との記事を掲載して、不法行為を煽動した。

⑦ 四月二〇日発行号(疎乙第三号証の一)において、「是が非でも“大衆団交”を勝ちとろう!会社側は、依然としてわれわれの全く当然の要求―全重役は大衆団交に出て、これまでの神吉体制の荷い手としての責任を明らかにせよ!を、“労使のルール”という理由にならぬ理由で拒否し続けている」との記事を掲載して、大衆団交を煽動した。

⑧ 四月二八日発行号外(疎乙第三号証の六)において、会社が組合側に団交ルールの覚え書を提示した件について、「会社側、血迷つた“暴挙”に出る!これが重大なる既得権(いつ、いかなる場所でも、自由に団交を開かせる権利)の侵害であることを見逃してはいけない」、「組合が争議権を行使した場合に、社屋内の施設を最大限自由に使用しうるという、労働法上でも認められた労働者の権利を、全く踏みにじる暴挙でもある」、「部分的にもせよ、組合員の四階立入禁止を求めるのは争議権の侵害であり、不当労働行為だ」、「光文社の社屋は、おまえたちの私物ではない!四階にくるなとはどういうことだ。それほど組合員が信用できないなら、さつさと重役などをやめろ!」、「親をなくした子ガッパは、裏のゴミタメにすてましよか、いえいえそれはなりません、大衆団交にお呼びして、タップリかわいがつてあげましよう」との記事を掲載して、大衆団交開催強要を煽動した。

⑨ 前掲五月七日号において、大衆団交について、「黒崎、金井両重役は組合員の怒号がこわくて大衆団交を続行できないと語つているそうだが盗つ人たけだけしい。過去一〇数年、沈黙を強いられていた組合員が意志表示の権利を回復するとき少々デッカイ声を出すのは当り前だ」、「“お医者さんゴッコばかりしやがつて”(長瀬重役の大衆団交欠席の言いわけとして丸尾重役が、「医者の診断書がある」と発言したのに際して、間ばつを入れずに出されたヤジ)」との記事を掲載して、大衆団交を煽動した。

⑩ 五月八日発行号(疎乙第三号証の一〇)において、大衆団交について、「大衆団交が団交たりうるか、人民裁判=刑執行になるかは、経営陣の力量にかかつているわけだが、光文社経営者たちは、自己の論理力をもつて抗弁するにはあまりある悪業の数々に全く反撥の論理を失つている。従つて唯一の対応策として、しばしば沈黙という戦術をとつてくる。驚くことに、彼等に一片の反省のないことは、自明であり、我々は当然のこととして、一片の同情も持ち合わせない。妥協なき闘いで、彼等を破局にまで追いつめよう」との記事を掲載して、大衆団交を煽動した。

⑪ 五月一四日発行号(疎乙第三号証の一五)において、組合側が五月一〇日から「泊り込み部隊」を設けて本社内に泊り込んだ件について、「泊り込み部隊のスケッチ・とにかく近頃は、夜もおちおち寝ておられません。一晩中灯がともつておりまして、一度などは何百という人間どもが、よつてたかつて老人たちをいじめております。私は恐しくて、もうこの世の終りかと思われました。―さて、その晩もまた、十名ばかりの人間が残つておりまして(中略)初めのうちはおとなしかつたのですが、スタミナをつけるため、チョッピリ梅酒を飲み始めてからはにぎにぎしい光景となりました。私も嫌いな方ではありませんから、賑やかにやつているところをみると、仲間に入れてもらおうかと思いましたが、そうもいきません(中略)そのうち夜も明けてまいりましてロックアウトさんはとうとう来なかつたのでしよう。ようやく静かになつたのは朝の六時半です。椅子を集めた上に布団をしいてだらしなく寝ている人間どもを見ていると、世の中変つたという感じが強うございます」との記事を掲載して、社屋占拠による業務妨害を煽動した。

⑫ 六月三日発行号(疎乙第三号証の三五)において、前記社屋占拠の件について、「盛りあがつた『歌謡曲』と『落語』をきく会・闘争新聞社主催の『歌謡曲大会』及び『三遊亭好生の落語をきく会』が昨日盛大に行なわれた。会場の四階ホールは、日本中の人がみんな集まつたかと思われるほどの盛況(百人位)で、艶歌、軍歌、童謡と盛り上げたあと好生師の艶つぽい話に女子社員多数も耳を傾けた。今後もどんどん楽しい催しを行ないますのでご期待下さい」との記事を掲載して、社屋占拠による業務妨害を煽動した。

(ロ) 名誉毀損的内容

① 四月二一日発行号(疎乙第三号証の二)において、伊賀取締役について、「二枚舌の二枚目である。彼が、これといつた編集の才を持ちあわせていないことは、疑いようのない事実だ。とすると、彼の“スピード出世物語”の秘密を解く鍵は、この“二枚舌の二枚目”という彼の“武器”に求めるほかはない―シリーズ否人間③伊賀弘三良の巻」との記事を掲載して、同取締役の名誉を毀損した。

② 四月二二日発行号(疎乙第三号証の三)において、黒崎取締役について、「黒崎を追い出すの辞・今、神吉なきあとの悪者は黒崎である(中略)断固黒い第二の霧「黒崎勇」を光文社から、彼が今迄やつてきたルールのようにマツサツすることは今後の明るい光文社の為に重要なことである。(思いついたまま左の詩を彼に捧げる)サーカスの替え歌(S14年古賀メロデイ)『旅の黒崎悲しかないかみんな子分はチーリヂリトンボがえりに今年もくれて自業自得の罪をきた』」との記事を掲載して、同取締役の名誉を毀損した。

③ 六月一日発行号(疎乙第三号証の三三)において、第三者である近藤富士雄について、「近藤富士雄とはどんな男か?『組合は会社にとつて悪である。必要悪と考えてもいけない。悪そのもの。あつていけないもの。つぶすべきもの、いじめいじめぬいていじめるもの。存在を許しておけないもの。―これが、あの男の考えのすべてです』(ある経済関係ジャーナリストの談話)近藤富士雄とはどんな男か?『丸尾氏の紹介で講談社を知り、とり入り、くつつき、紹介者で友達の丸尾氏を自己保身、自己宣伝のため講談社に売り、破滅に追込いみ、一分ごとに切り刻み、ポポーンと首をおとした男。やめた光文社の同重役たちが、いまいちばんうらんでいるのはこの近藤です』(事情にくわしい光文社関係者)この近藤のグニヤグニヤとした不潔な、灰皿に吐いた啖をソースにしてメシにぶつかけてのみこむような、汚辱の行為を恥ともしない生き方、友だちを傷つけ、その流れる汗と血を吸つていく生き方、それでも金を得て、それで妻子を養つていく生き方、自分の生活のために偽りのためにあらぬ噂をたて友だちを、混乱におとし入れ、裏切つていく生き方。そんな生き方をえらぶものは、私たちにはいないといい切れるだろうか?―コラム「これが近藤富士雄の正体だ」」との記事を掲載して、同人の名誉を毀損した。〈後略〉

理由

一申請の理由(一)の事実、抗弁のうち、(一)、(二)の事実及び会社が一〇月三一日申請人ら全員に対して本件処分をした事実、以上はいずれも当事者間に争いがない。

二本件争議の経過

前掲事実、当事者間に争いのない事実、〈証拠〉を総合すれば、つぎの事実が疎明される。

(一)  会社は、講談社社長野間省一と同人が理事長である財団法人野間奉公会が株式の大部分を所有している、いわゆる講談社資本の系列に属しているところ、昭和三六年一二月以降社長の座にあつた神吉晴夫は「ベストセラー作りの名人」と世間に喧伝され、会社の業績は急速な成長を遂げたが、対内的には、その独裁的な経営について、とくに組合所属の従業員の間にかねてから不満がくすぶつていた。

光労組は、二月一七日、「落ち込み撤廃」(給与の是正)、室次長全員の組合員化等五項目にのぼる要求を提出して会社側と団体交渉を重ね、三月一九日ほぼ全面的にその目的を達したところ、これに勢いを得て引き続いて更に、会社の組織・機構、人事、会社経営についての首脳陣の責任等に関する事項のほか、室制度と室次長手当の廃止に伴う賃金格差の解消として、右手当相当分である月額四万円を全組合員に一律支給するよう要求し、記者労組もこれに呼応し、会社は、四月三日一時金として四八万円を支給する旨回答した。

たまたま四月四日、組合は、神吉社長が伊東市所在の茶室づき会社建物を「出版文化研究所」という名称で、一般社員には内密に自分の別荘かわりとして使用していること、しかも、右建物は同社長の姻戚関係にある者の関係会社から購入し、茶室は購入後同社長の独断で建築させたものであること、以上の経緯を知り、他にも会社財産の私物化があるものと受け止め、組合員のみならず一般従業員の不満は一挙に爆発し、組合は、諸悪の根源は神吉社長を頂点とする神吉体制にあると断じ、同体制の打破が、即、労働者の復権と賃金の改善につながる、と結論した。そこで、神吉社長の退陣要求及び役員らの責任追及にあわせて、春闘要求として、前記四八万円の回答に満足せず、基本給月額平均六万円アップ(賃金格差分四万円、ベースアップ分二万円)を提出し、更に、同社長の退職金不支給、巨額の資金を投入する新社屋の建設中止、役員全員の組合大会席上における意見表明を主張し、これらの要求を掲げて、四月一七日無期限全面ストライキに突入した。臨労組の結成に伴い、これに所属する組合員もストライキに加わつた。

この間、神吉社長は四月一三日健康上の理由で辞任し、同社長と同時(昭和三六年一二月)に常務取締役に就任し引き続いてその職にあつた丸尾文六が、即日その後任となつた。

(二)  会社は、組合側の執拗かつ強硬な大衆団交の要求に押し切られ、後述するように、五月二日から八日までの間四回にわたつて大衆団交が開催されたところ、その席上、伊東別荘の一件のほか、会社費用で賃借りしている目白台のアパートに娘夫婦を住ますとか、義弟に多額のモニター料を支払うなど、神吉社長の公私を混同した数々の事例が明るみに出、会社側は、これらの事例のほか、「今春闘において賃金カットをしない。」とか、組合員大衆の意向を無視して「女性自身」などの発行に必要な義務を行なわない、建築中の新社屋の建設を中止する、等の事項を承認し、この旨を記載した一一通にのぼる確認書を組合と交換することを余儀なくされ、組合側の気勢はあがつた。組合は、五月一〇日以降連日一〇名前後の組合員を本社社屋の全般にわたつて泊り込ませ、役員室の出入口を終始監視の下におき、かような状況に追い込まれた会社役員は、五月九日に組合と同月一一日に団体交渉する旨一旦は合意しながらも、当日に至るや、役員全員が退任したから団交には応じられない旨を一片の書面で組合に通知し、以後役員は全員本社に出勤することなく、組合側から所在をくらまして社外で執務し、組合はこれに対抗して、役員の私宅等に赴いて家族に嫌がらせをしたりなどしたところ、五月二四日役員全員が辞任し、五十嵐勝弥代表取締役社長以下新役員が即日就任した。

(三)  組合が五月一五日申請した団交応諾仮処分事件について、同月二五日東京地裁において、賃金問題と神吉社長の責任問題を議題として同月二九、三〇日の同日団体交渉を開催する旨の和解が成立し、これに基づいて右両日交渉が行なわれたところ、組合側は、会社側出席者、馬場、加藤、藤掛各取締役、大城監査役、古沢顧門、小林総務部長、牛久同部長代理、以上七名のうち、大城監査役以下四名の出席を認めず、神吉社長の責任問題が議題となつている以上、五十嵐社長が出席すべきである旨強硬に主張し、団交に出席する会社側代表を誰にするかは、会社がその自由意思で決めるべきものであり、組合から指示されているいわれは毛頭ない、とする会社側の見解と鋭く対立し、このため議題の本論に入るには至らなかつた。

団交要員についての労使間の対立はその後も平行線を辿つたか、会社は、六月九日書面で組合に対し、前記確認書記載の各確認事項は、いずれも長時間にわたる大衆団交のためいわば心身喪失の状態の下でなされたものであるから一切破棄する旨通告したうえ、同月一一日ロックアウトを宣言し、同月一三日新らたに労務担当取締役に就任した、労使間の紛争解決を業とするいわゆる争議屋ともいうべき武田義昭は、博徒幸平一家の準幹部とか鳶職、大工などで、一見して暴力団まがいとしか言いようのない風体の四〇数名を特別警備員として会社内に導入し、その当時も寝泊りしていた組合員を全員実力で排除し、その後も引き続いて右博徒ら五名を警備員として本社内に常駐させた。組合側は再度団交応諾仮処分を申請し、六月二四日同地裁で成立をした和解において前同様の議題について六月三〇日団体交渉を開催する旨定められたところ、これに基づいて開かれた団交の席上、会社側は、神吉社長の件は、経済的要求ではなく経営に関する問題であるから正式の団交議題にはしない等、従来に比べて強気の姿勢を示した。

かくするうち、光労組の組合員のうち約四分の三が脱退する等して六月二七日新らたに全光労組が結成(一般社員約二四〇名のうち一七〇名位が加入)され、同組合員は同月二九日就労したところ、組合は、全光労組はいわゆる第二組合にほかならないときめつけたものの、事態の新らたな局面に対処すべく、同月二九日ストライキを解除して全員就労する旨宣言し、一方、会社は、七月一一日業務再開を宣言したうえ、八月一〇日ロックアウトを解除した。しかし、組合所属の組合員全員に対して、連絡あるまで賃金は支払うから自宅待機するよう指示したため、組合側は、右措置はなんらロックアウトの解除にはならないと反撥し、これが即時撤回を求めた。

(四)  会社は、八月一五日組合員四名に対し、二六日同一〇名に対し、九月八日同一〇名に対し、一七日同一〇名に対し、一八日同九名に対し、就労を指示したが、一名を除いてその余は指名ストと称して応せず、このため、右指示に服さない者に対して各指示日時以降の賃金カツトを行なつたところ、八月二四日「女性自身」を復刊し、九月三〇日臨労組に所属する臨時雇員全員に対し、契約期間満了を機会に臨時雇員制度を廃止して契約を更新しない旨通告し、ついで一〇月三一日本件処分に及んだ。ところで、「女性自身」は、昭和四四年度において各号平均八五万部余という、女性週刊誌中最大の実売部数を誇る会社の看板商品であるため、本件争議のため四月二〇日号を最後として休刊のやむなきに至つたことは会社に耐えがたく、同誌の復刊は対外的にも会社の業務正常化のシンボルとして、鋭意その復刊に努め、組合側も右の事情を承知していたため、後記のように、右編集業務に対する妨害、嫌がらせを試みたりした。

この期間における組合側の要求は、(一)神吉体制についての現経営陣の責任、(二)自宅待機命令の即時撤回、一部組合員あて就労通告の中止、(三)武田取締役の退陣、(四)臨時雇員の解雇撤回、(五)昭和四五年度ベースアップ及び上期一時金等であり、右議題について社長以下全役員が団交の場に出席することを依然として固執し、再三団交を申し入れたが、会社は、議題は賃金問題に限るべきであるとの立場を堅持し、実質的な話し合いの進展はなく、労使間の対立・紛争は泥沼に入り込む様相を呈するに至つた。

三懲戒事由とされている事実

(一)  被申請人の主張に全面的に沿う疎明資料として、疎乙第一二号証(丸尾文六作成の陳述書、五月二三日までの事実を記載)、第一三号証(小林武彦作成の陳述書、五月二四日以降の事実を記載)があるところ、これが内容は、昭和四五年一一月二六日付被申請人準備書面(一)と体裁・内容ともに同一で一字一句異るところはなく、しかも右各書証は、同準備書面記載の事実について申請人らの認否がなされた後に提出されたものであるから、その成立が疎明されるとしても、その記載内容を採用することはできない。他方、解雇理由についての申請人らの陳述書として疎甲第五〇号証の一ないし四、第五一、第五二号証の各一、第五三号証、第五五号証の一、第五六号証の一、二、第五七号証の一が提出されているところ、第五六号証の一、二及び第五七号証の一を除いたその余の陳述書は、具体的な事実の記載に乏しく、疎明されるべき「事実」を前提としての「主張」・「評価」がその大半を占めている嫌いがあり、かような主張等にわたる部分は、右各書証の成立が疎明されるとしても、その記載内容を採用することはできない。

(二)  第一次、第二次四〇八号室事件(四月二七日、二八日)

当事者間に争いのない事実〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

組合は、ストライキ突入後も大衆団交を要求し、会社はこれを拒否し続けていたところ、労使間で初めて、四月二七日午後九時三〇分頃から同一一時一〇分頃、二八日午前〇時四〇分頃から同二時二五分頃、同七時六分頃から同八時頃、同八時二〇分頃から同八時四〇分頃、同九時頃から同九時三〇分頃、以上の時間にわたつて本社四階にある四〇八号室(会議室)において、申請人神戸を除いた申請人全員を含む組合役員ら一八名(ただし、申請人柿田は中途から参加。)と丸尾社長以下七名の会社役員との間で、団体交渉が開かれた。組合側は、神吉社長の公私を混同した同社長にまつわる黒い霧問題を取り上げ、社長の、会社側においても神吉問題の実態の全部を把握していないから、労使双方で調査したうえ対等の立場に立つて改めて交渉したい旨の提言を無視し、神吉体制の悪業とこれに関係したとして役員全員の責任を語気鋭く追及し、当初のうちはまずまず静粛に進んだものの、役員らが各人の責任について明確な意思・態度を表明しなかつたことも手伝い、次第に騒然として緊迫の度を加え、退席しようとした会社役員が一度ではあるにしろ阻まれたり、「やめるなら責任をとつてやめろ。」「いままでの責任をどうするのだ。」、「大衆団交で皆の前できちんとしなければ、光文社などやつてゆけないぞ。」、「大衆団交に出ない奴は役員と認めない。」と、役員を一名ずつ名指しで責任を追及して大衆団交に出席するように圧力を加え、「こんな奴なんか殴つたつて構わないんだ。」、「逃げようたつて逃がすものか。」と発言する者もあり、同室に隣接する四〇九、四一〇号室(各会議室)は、ストライキ突入後は組合側の待機場所となつていたため、多数の組合員が団交の形勢いかにと待機し、その一部は役員室前の廊下(前記三室と役員室は廊下を隔てて向い合つている。)にたむろし、役員が深夜便所へ行く際もついて来たりした。丸尾社長ら会社役員は全員役員室で二七日の夜を明かしたが、二八日午前九時すぎ頃、同社長は前夜来の疲労が昂じて団交の席上でうずくまり、急きよ医務室に運ばれる場面もあり、社会側は、結局、組合の要求に折れ、同日午前九時五〇分頃再開された団交の席上、翌日か翌々日開かれる組合大会に役員全員が出席し、反省すべき所信を述べることを約束する、という趣旨の確認書に署名した。なお、以上の団体交渉の間において、会社役員が四〇八号室から退出しようとした際出入口の扇が開かなかつたことが一回あつたが、これが組合側の作為によるものであるかどうかは、必らずしも明らかでない。

(三)  第一次ないし第四次大衆団交事件(五月二日、四日、七日、八日)

当事者間に争いのない事実〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

四月二八日成立した労使間の前記合意に基づき、いわゆる大衆団交が、五月二日午前一〇時三〇分頃から午後〇時三五分頃、同一時三〇分頃から同三時三〇分頃、同四時頃から同七時四五分頃、同九時二分頃から翌三日午前四時一〇分頃、同四時一五分頃から同四時三〇分頃まで、延々約一八時間にわたつたのを皮切りとし、五月四日午前一〇時四五分頃から午後〇時三〇分頃、同一時三〇分頃から同四時三〇分頃、同五時頃から同八時一五分頃までの間、ついで、五月七日午後一時一五分頃から同五時五〇分頃までの間、更に、五月八日午後一時三〇分頃から同六時三〇分頃までの間、開催された。会場は、前記四〇八ないし四一〇号室の移動式間仕切りを外してぶち抜いた四階ホールを組合側で設営し、会社側役員席を一番奥に据え、その周囲に扇形に組合員席を設け、入口付近に組合側選出の議長団が陣取るという配置の下に、会社側は丸尾社長以下役員七名が出席し、組合側は組合員約二〇〇名(申請人らのうち、上野は五月二日不参加、柿田及び友田は同月八日のみ参加。)が会場を埋めつくした。団交は、組合側があらかじめ作成したスケジュールに従い、終始完全に組合ペースで進められ、申請人らはいずれも積極的・活撥に発言して場内の雰囲気をリードしたところ、最も重要な議題が神吉社長の不正行為とこれに端を発した問題であるため、組合側においても、団交内容がスキャンダルとして外部に洩れて会社の信用をおとすことを慮り、第三者の傍聴等は一切禁止した。

五月二日団交開始の当初は比較的冷静に進められたが、神吉社長の会社財産私物化の疑いの数々、すなわち、伊東別荘、目白台アパート、会社備品の洋書、絵画の持ち帰り、モニター問題が取り上げられるに従い、場内の空気は次第にエスカレートして騒然となり、会社役員は、議長団から次々に指名されて神吉体制の責任を追及され、沈黙してしまつたり組合の意向に反する発言をするや、嘲笑、罵倒、野次、怒号、個人的非難が喧喧ごうごうと飛び交い、議長団はこれをなんら制止することなく放置し、組合要求を一〇〇パーセントのまない限り紛争は収拾がつかないと一方的にせまり、会社役員に退場を命じたりもした。とくに五月四日は、「女性自身」編集担当の桜井取締役の追及に焦点がしぼられ、同人が「女性自身」五七四号の発行を準備したのはスト破りであるときめつけ、怒号、野次、罵声を浴びせかけ、騒然とした中で病弱の同人に着席することすら許さず、二時間余りも立たせたまま追及し、同人は追及が一段落した際その場に貧血で倒れてしまい、会社側は、かような状況ではとうてい以後大衆団交には応じられない旨申し入れたが、にべもなく拒否された。また、五月八日には、「女性自身アカデミー」の代表取締役を兼ねている黒崎取締役に対し、会社との間に経理上の不正があるとして、執拗に退陣をせまつた。

会社側は、団交の合い間を利用し、五月三日と五日、講談社副社長、顧問弁護士らと協議する等して対策を練つたが、役員間の意思統一は必らずしも十分とはいえず、神吉体制の責任をもつぱら神吉社長個人に負わせる嫌いもなくはなかつたところ(これがまた組合側の憤激を招いた。)、以上の大衆団交により、前記のように一一通にのぼる確認書を組合と交換することを余儀なくされた。

(四)  第一次五十嵐事件(六月一日)

前掲疎乙第三二号証中には被申請人の主張に全面的に沿う記載部分があるが、右部分は、疎乙第一二、第一三号証についてすでに判断したところと同一の理由により、採用することはできず、〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

前述したように、五月二九、三〇の両日における団体交渉は、会社側の団交要員をめぐる論議に終始して交渉の中味にまで入らなかつたところ、六月一日午後六時頃、本社玄関ホールに集つていた組合員ら約三〇名は、五十嵐社長、加藤、藤掛両取締役が外出しようとするのを認めるや、同人らを取り囲んだうえ、「何故団交をやらないのか。」とせまり、駐車場に待機している乗用車に乗り込もうとするところまで追つてゆき、声高に同趣旨の詰問をし、社長らは無責任にも団交を回避しているとして、激しく非難し罵詈雑言を発した。

(五)  第二次馬場事件(六月一日)

〈証拠〉によれば、被申請人の主張事実は、「申請人福山、同野村が現場に居合わせてその主張のような役割を果たしたこと、組合員の間から『あんたを見殺しにして帰つた三人は、何処へ行つたのか。』、馬場が組合の要求に絶句した際に『馬場さん、あんたのそんなポーズは、我々には底が見えているから駄目だよ。気障な演技はやめなさい。』との発言がなされた」以上の部分を除いて、その余はすべて疎明される。

馬場取締役に対する追求・吊し上げは、前述したように四階役員室前廊下で行なわれたところ、〈証拠〉によれば、本社建物は八階建で、五階以上はキングレコードとか音羽建物という他の会社が使用しており、四階の階段及びエレベーターの位置と右廊下の間は余り隔たつていないことが疎明されるが、右の他会社の従業員等が本件吊し上げ等の状況を現認等していたことの疎明はない。

(六)  第二次五十嵐事件(六月三日)

当事者間に争いのない事実〈証拠〉によれば、被申請人の主張事実は、「たまりかねた加藤取締役が、『いま、役員会議中だ。まるで不法侵入じやないか、出て行つてくれ。』と叫ぶと、申請人野村らは、『あんまり威張るな、態度が悪いぞ。』、『こいつの顔をよく見ておけよ、興奮しやがつて、重役づらするな。』と怒鳴り返し、」以上の部分を除いて、その余はすべて疎明される。

しかし、右の状況を他会社の従業員らが現認等しているとの疎明がないことは、「第二次馬場事件」の場合と同様である。

(七)  第三次五十嵐事件(六月四日)

当事者間に争いのない事実〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

六月四日午前一一時頃から午後一時頃までの間、新宿区袋町の日本出版クラブにおいて、五十嵐社長ら出版関係者の叙勲祝賀披露パーテイーが予定どおり開催されたところ、組合員約五〇名は申請人川本が責任者として指揮を執り、午前一〇時三〇分頃同クラブ前路上に集合し、午後一時頃までの間、争議の現状を訴えるビラを来会者に配布したり、講談社野間社長、同小保方副社長が会場に到着した際は、近付いて口々に、「会社が団交に応じるようにいつて下さい。」、「五十嵐社長に団交に出るようにいつて下さい。」と呼びかけ、午後一時二〇分頃前記路上において、五十嵐社長に対して団交に応ずることを要求するシュプレヒコールをして気勢をあげた。五十嵐社長は、右祝賀会に出席する予定であつたところ、前日における組合側の脅し文句もあり、また、前述のように組合員が多数道路上に集合しているとの連絡を受けたため、出席することを断念した。

(八)  第二次社屋乱入事件(八月一七日)

当事者間に争いのない事実〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

会社は、八月一〇日ロックアウトを解除する際、これに伴い組合員を就労させれば、職場における混乱は必至であり、業務の運営に支障をきたすと判断し、立入禁止仮処分を求めることなくこれに対処するため、組合員全員に対して連絡あるまで自宅待機するよう命じたうえ、職場秩序を保つことができると認められる部署から、役員において個別に選抜した従業員を就労させる、という方針を立て、前同日組合に対し、「業務再開してから一か月を経たが、全員いちどに就労できないので、いまその準備をしている。」との趣旨を説明し、同月一五日組合員四名に対し第一次就労命令を発した。

組合は、会社がロックアウトを解除しながらも自宅待機命令を発したのは不当であるとして、これを糾弾するビラを本社内にある組合掲示板に掲げたところ、小林総務部長は、自宅待機命令中の組合員がビラを貼ることは許されないという理由により、ビラを除去したため、申請人川本、同野村、同柿田、同友田ら約三〇名の組合員は、右措置等に抗議すべく、八月一七日午後四時頃から同七時頃までの間本社玄関ホールにおいて、同部長を取り囲み、口々に撤去の不当等を抗議して騒ぎ立て、同人を吊し上げた。

ところで、〈証拠〉によれば、会社の就業規則上自宅待機に関する規定はなく、また、組合掲示板の使用方法等会社施設内における組合活動についての労働協約、労使間の慣行、就業規則等の定めについては、なんら疎明がなく、〈証拠〉によれば、前記抗議行動等により、本社への出入がある程度妨害されたことは推認できるが、右程度を越えて業務妨害がなされたことの疎明はない。

(九)  玄関前暴力行為事件(八月一九日)

申請人柿田ほか組合員三、四〇名が八月一九日午前九時三〇分頃から本社玄関前において、六月分給与の即時支払を要求する抗議集会を開催したことは、当事者間に争いがないところ、組合員が金子警備員に暴行等を加えた件については、〈証拠判断省略〉疎明すべき資料はない。

(一〇)  社屋乱入・職場占拠・営業妨害事件(八月二一日)

当事者間に争いのない事実、〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

申請人川本、同野村、同上野、同小出、同神戸、同柿田、同友田ら執行部に指揮された組合員約四〇名、支援団体に所属するとみられる約二〇名の総数六〇名位は、八月二一日午後一時すぎ頃本社玄関入口付近において、自宅待機処分撤回等を要求する「8.21職場奪還闘争を貫徹しよう」という見出しのビラを撤き、集会を開いて気勢をあげ、同一時二〇分頃、本社建物の周囲をジグザグデモをしたうえ玄関入口付近にわがもの顔にたむろし、広告業者など会社の関係取引先、訪問客、五階以上にあるキングレコード等の関係者の出入を妨害した。

午後一時三〇分頃、申請人川本らは、小林総務部長に面会して団交の即時開催を要求し、午後一時四〇分頃、会社から団交日時は二、三日中に文書で送達する等の回答に接するや、これは会社側の引き伸しにほかならないから、回答書をくれるまで動かない等と組合員らをアジリ、その頃、組合員らは玄関ホール付近はもちろん二階に上る階段あたりまで坐り込み、野次、怒号が飛び交い、正面入口は騒然とした空気に包まれ、会社関係者等の出入はいよいよ困難となつた。

小林総務部長は、組合幹部に向つて営業妨害になるから退去するよう、そうしなければ警察官の派遣を要請する旨再三警告したが、「呼べるものなら呼んでみろ。」との返事がはね返るだけであつたため、同一時四五分頃、「よし、呼ぶからな。」と念を押したうえ要請をした。その頃には、組合員らは、会社側の制止をきかず、一階、二階、三階の事務室、編集室及び四階の廊下へなだれ込み、各事務室、編集室内を傍若無人ともいうべく歩き廻り、とくに二階「女性自身編集部」においては、当時部員の大半は取材に出掛けて不在であつたところ、居合わせた富田編集長、編集担当藤掛取締役を取り囲み、抗議、怒号、シュプレヒコールなど嫌がらせをし、ソファーにふんぞり返る者もあり、四階廊下では、一団となつてジグザグデモを繰り返して喧騒を極め、このため、同階で執務中の経理部社員は仕事が手につかず、以上の状態は、前記要請に基づいて出動した約一五名の警察官が午後一時五〇分頃組合員らを玄関前路上まで押し出して排除するまで、続いた。〈中略〉

(一二)  第一次会社構内デモ事件(八月二四日)

当事者間に争いがない事実、〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

組合は、会社が組合員に対しては自宅待機を命ずる一方において、着々と業務態勢を整えたうえ八月二四日「女性自身」を復刊する運びになつたことに抗議すべく、あらかじめ定められた週間闘争スケジュールに従い、同日午後三時頃、申請人川本、同野村、同神戸、柿田、同友田ら約四〇名の組合員らは、宣伝カー一台を伴つて本社玄関付近に集合し、小林総務部長に対して玄関まで降りて来るよう強硬に主張し、同五時頃まで同所付近にたむろし、同時刻頃からは本社建物南側に沿つた構内駐車場を往復するなどの激しいデモを繰り返し、デモの隊列が歩道に相当はみ出たため、警察官から道路交通法に違反するとして追い散らされても、警察官が居なくなるや、舞い房戻つてシュプレヒコールをするなどして気勢をあげた。

(一三)  第二次会社構内モデ事件(九月一二日)

被申請人の主張事実は、当事者間に争いがない。

(一四)  第一次、第二次目白別館襲撃事件(一〇月八日、二〇日)

当事者間に争いがない事実、〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

組合は、「女性自身」の最終原稿締切日当日の夜、同誌の編集業務に追われている全光労組所属の従業員に対し、臨労組員の全員解雇に対する全光労組の態度等を追及することを決定し、一〇月八日午後一〇時頃から同一二時頃までの間会社目白別館において、申請人柿田、同友田、同小出ら約一五名の組合員は、森元編集長代理ら主としてニュース、芸能班に属する全光労組員に対し、一〇月二〇日午後九時三〇分頃から同一〇時四〇分頃までの間前同所において、申請人小出、同友田ら約二〇名の組合員は、石鍋デスクら主として実用班に属する同労組員に対し、前記解雇の件、武田取締役と暴力ガードマンの問題等について、執拗に説得・抗議活動を行なつた。

被申請人は、組合の右抗議活動等により「女性自身」の編集業務を妨害された旨主張するところ、前記事実によれば、当日はいずれも最終原稿締切日であり、しかも夜半遅くまで可成りの時間にわたつて抗議等が行なわれているから、その程度はともかくとして、編集業務が阻害されたことは争えない。しかし、森元ら抗議等を受けた側の全光労組員において、積極・消極のいずれであるにしろ拒否する態度を相手方に示したとか、当時かような態度に出る余裕すらなかつたというべき状況下に置かれていた、ということを窺わせるべき疎明はない。

(一五)  第一次ないし第三次社員入構阻止事件(一〇月一二日、一五日、二一日)

当事者間に争いがない事実、〈証拠〉によれば、つぎの事実が疎明される。

組合は、全光労組所属従業員の出社時を利用し、本社玄関入口付近の道路上において同人らに対し説得・抗議行動をする方針を立て、申請人福山、同川本、同野村、同小出ら組合員、支援団体関係者約五〇名は一〇月一二日午前九時頃から午後〇時三〇分頃までの間(第一次)、申請人福山は支援団体からの応援者数名を含めた組合員約四〇名と共に同月一五日午前九時頃から同一〇時三〇分頃までの間(第二次)、申請人福山、同川本、同野村ら約三〇名の組合員は支援団体から約一〇名の応援を得て同月二一日午前九時頃から同一一時三〇分頃までの間(第三次)、いずれも本社玄関前付近において、出勤して来た全光労組に属する従業員を一名につき一〇名位で取り囲んで立ち止まらせ、再び組合に同調して行動するよう要求するとともに、臨労組の解雇を見殺しにする態度を取つている、と口々に激しく追及し、身体を押したり小突いたりして、出社しようとするのを執拗に阻んだ。本社玄関入口付近に配置されていた会社警備員(前記幸平一家の準幹部を長とする、一二日は五名、一五日以降は八名)は、この状況を認めるや、その囲みの中に力づくで分け入り、組合員と互に出勤して来た従業員の身体を掴んで引つぱり合い、組合員から奪つた組合旗とか社内から持ち出したモップの柄を振りかざし、振り廻し、また足蹴りする等して、組合員に襲りかかり、組合員も負けじとこれに抵抗するなど、玄関付近は混乱状態となり、会社は、一二日と一五日の二回にわたつて、警察官の規制を依頼せざるを得なかつた。

被申請人は、多数の組合員が玄関ドアを押えて社員らの出入を不可能な状態にした旨主張し、前掲小林証言中にはこれに沿う部分があるが、その具体的な状況についての供述はなく、前記の事実経過を考え合わせると、同部分はたやすく採用できず、他に疎明はない。

(一六)  「闘争新聞」の編集・発行

〈証拠〉によれば、申請人神戸は、本件争議に際して組合側で発行した「闘争新聞」の編集及び発行責任者の一員であり、同新聞は、単に会社従業員にとどまらず、来客とか前記キングレコードの関係者等のほか池袋駅頭などで公衆にも広く配布されたこと、同新聞の記事中に、被申請人主張の各記事がそれぞれその主張する発行号に掲載されていること、以上の事実が疎明される。

四前記三に掲げた各事実の評価

(一)  懲戒条項の解釈

(1)  「就業規則」三五条五号は、その規定の体裁・文言及び他の各号における規定の趣旨・体裁との権衡からみて、「会社の名声をいちじるしく傷つけ」るか「会社の施設物品を破損滅失」することにより、「会社に重大な損害を与えた」場合を規定していると解される。ところで、名声が侵害される場合、これにより損害が常に発生するとはかぎらず、仮に損害が発生するとしても、被侵害利益の性質上、発生する損害額あるいは損害額と侵害との間の因果関係の立証は、必らずしも容易であるとはいえず、他方著るしく名声を傷つけられた場合は、少なくない損害を伴うことが通例であるから、かように考えれば、同条八号において五号を準用する場合は、損害の発生は要しないとしても、単に名声の侵害があつたということだけでは足りず、その程度が著るしいことが必要である。

「『女性自身』就業規則」三〇条五号は、会社及び「女性自身」の両者の名声侵害を要件として掲げているが、「女性自身」が看板商品として会社出版物の中で占める比重(この点は前述した。)を考慮すれば、同条一〇号において五号を準用する場合は、被侵害利益は会社または「女性自身」のそのいずれかの名声であれば足りるとしても、その程度は前同様著るしいことが必要である。

被申請人は、以上両就業規則のいずれであるとを問わず、準用する場合は「著るしく」の要件は不要であると解しているが、前記三五条及び三〇条の他の条項の規定の内容からみても、右解釈は採用できない。

以上により、本件において適用されるべき懲戒条項の規定は、両就業規則を通じて、「故意または過失、もしくは怠慢により、会社の名声を著るしく傷つけたとき」ということになる。

(2)  つぎに、名声侵害、すなわち名誉毀損、信用侵害とは、人または法人に対する社会的評価を低下させる行為であり、右評価が低下するといい得るためには、原則として名誉毀損事実が一定範囲に流布されることが必要である。本件に即していえば、本件においては争議行為に関連して組合活動の一環としてなされた行為が問題となつている以上、特定の行為が法の保障する正当な組合活動の範囲を逸脱し、会社の出版企業に占める地位・役割からみて、その社会的評価を低下させるに足る内容であり、かような組合活動が、不特定多数の人々が目撃し得るような状況の下で行なわれるとか、目撃者は特定の第三者であるとしてもその口を通して公けになるとか、マスコミにより報道されるとか、以上いずれの方法であれ、外部に公表され、その結果、本社が所在する音羽商店街界隈とか会社の取引先業界などの一定範囲に流布されることが必要である。

(二)  本件争議の目的の違法性

被申請人は、労働基本権はあくまでも労働者の経済条件の向上を図ることを保障するものであるから、本件の場合のように、使用者の経営方針に介入したり、黒崎、武田という特定の取締役の退任を求めたりすることを目的とすることは、その目的自体において労働基本権の範囲を逸脱している違法な権利行使である、と主張する。

しかし、使用者の経営方針といつても、その如何が労働者の経済条件と密接なかかわりを持つ場合は、経営方針についての組合の態度・意思を使用者に対する要求として掲げることはでき、本件の場合、巨額の資金を必要とする新社屋の建設を続行するかどうかは組合員の経済条件、とくにベースアップに直接かかわる問題であり、このことはともかくとしても、再度にわたり東京地裁において成立した和解条項において、神吉社長の責任問題が団体交渉の議題として取り上げられているところ、神吉問題は会社の経営のみならず全般にわたつての基本姿勢にかかわる事項であるから、かような議題についてまで和解している以上、会社側において、経営方針に介入云々を問題とすべき余地はない。つぎに、取締役の退任要求については、武田取締役は労務担当取締役として会社に暴力団を導入して組合側と対抗しており、黒崎取締役の退任要求には後記のような事情があるから、本件におけるかような特殊事情を考慮すれば、両取締役の退任要求が直ちに正当な組合活動の範囲を逸脱した違法な権利行使にあたるということはできない。

(三)  以上により、懲戒事由とされている前記認定の各事実を、これが発生した背景をなしている本件争議の経過のなかで位置づけたうえで、法の保障する正当な組合活動の範囲を逸脱して会社の社会的評価を著るしく低下させるに足る態様であるかどうか、及び右事実が外部に公表されることにより一定範囲に流布されているかどうか、以上の見地に立つて、逐次検討する。

(四)  第一次、第二次四〇八号室事件

(1)  本件団体交渉は、深夜にわたつて可成り長時間行なわれたところ、その内容は、組合側の社長以下会社役員に対する一方的な責任追及と執拗な大衆団交への出席要求に終始しており、粗野・乱暴な発言も少なくなく、退席しようとした会社役員が一度ではあるが組合員に阻まれるという事態も生じ、以上によれば、正常な団体交渉とは認めがたい要素が少なからず含まれていることは、否定できない。

しかし、神吉社長は、多年会社内で権勢をほしいままにして君臨していながら、しかも疑惑の対象が会社財産の私物化という、法律上のみならず道義上の責任、ひいては同社長の人格、名誉にかかわる事項であるのに、なんらの釈明・弁解すらすることなく、早々に退陣したのである。かような事態に直面した組合及び組合員が〈証拠〉から明らかなように、従来神吉社長と共に会社首脳陣を形成してきた丸尾社長以下の会社役員に対して、怒りと驚きを爆発させ、神吉問題に対する責任と大衆団交出席を一方的に鋭く追及することは、やむを得ない面が多々あり、当時における組合員の怒りと驚きがいかに大きいものであつたかは、本件団交に引き続いて開催された第一次ないし第四次の大衆団交において、これが再三長時間にわたつたにもかかわらず、常時二〇〇名に達する組合員が参加しており、その後組合と袂を分つて全光労組を結成しこれに加わつた従業員も組合と一体となつて行動していることからも、窺われる。そして、団交が深夜長時間にわたつているといつても休憩時間が適宜とられており、会社側において団交打切を提案した形跡はなく、会社役員が事実上監禁に近い状態に置かれたともいえない。加えて、光労組の五項目要求以降、一方的に譲歩に譲歩を重ねた会社側の妥協的、むしろ弱気ともいうべき態度・姿勢が組合側の攻撃に拍車を掛けたといえよう(このことは、確認事項破棄、ロックアウト宣言により、会社が一転して攻撃に出る時期まで影響していると思われる。)。

以上によれば、本件団体交渉をその全体として把えて評価する場合、いまだ正当な組合活動の範囲を逸脱しているとはいえず、丸尾社長が疲労が昂じて倒れた事実も、右結論を左右するには足りない。

(2)  本件団体交渉は終始会議室内で開催され、その内容・態様が外部に公表されたことの疎明はない。

(五)  第一次ないし第四次大衆団交事件

(1)  本件大衆団交は、終始組合側の完全なペースで進められ、会社役員に対する一方的な責任追及は、大衆に囲まれていることの威圧感と、組合選出議長団がなんら制止しないため、嘲笑、罵倒、野次、怒号などが喧々ごうごうと渦巻いていただけに、前回の四〇八号室の団交にもまして正常な団体交渉とは認めがたい要素が多々あるところ、組合及び組合員の会社役員に対する当時の態度等の原因については、前述したところであり、成程、会社側は五月四日桜井取締役が倒れたことを契機として団交の打切を申し入れているが、これを強硬に主張した形跡はなく、引き続いて団交を行なつているから役員の在席を強要する事実上の監禁状態に近いものであつたとは認められず、会社側においても五月三日と五日対策を練る機会が十分に与えられており、出席した役員間の意思が必らずしも統一しているとはいえず、各人の責任問題に対する態度に明確さを欠く憾みがあつたことが、組合員の反撥を招いた点も無視できない。

もつとも、桜井取締役に対する五月四日の追及は、組合がストライキに入つたからといつて、会社がその業務、本件では問題となつた「女性自身」の発行を準備することはなんら差支なく、にもかかわらず、右準備業務をしたことは不当であるから糾弾するとして、野次等により騒然とした零囲気の中で着席することすら許さず立たしたまま二時間余りも病弱の同人を吊し上げたことは、明らかに行き過ぎであるというべきである。しかし、黒崎取締役に対する追及は、同人は、〈証拠〉から明らかなように、昭和三六年一二月以来取締役として神吉社長体制の一翼を担つていたから、「女性自身アカデミー」について同人に経理上の不正があるのでなかろうか、と組合側で疑惑を抱くのも無理からぬ面があり、その追及方法についても特記すべきものは見当らない。

以上によれば、本件大衆団交は、桜井取締役に対する前記追及は正当な組合活動の範囲を逸脱しているが、これを除けばいまだ右範囲を逸脱しているとはいえない。このことは、前掲疎甲第三号証(五月二日付会社役員一同から従業員各位あて文書)において、会社側が本件大衆団交の積極的意義を公式に評価していることからも裏書きされる。

(2)  本件大衆団交は終始第三者の傍聴等を一切シャットアウトした状況の下で進行し、その内容・態様が外部に公表されたことの疎明は、以下に述べる報道記事を除いては、他にはない。

〈証拠〉によれば、日本新聞調査報においては、六月一〇日までに至る本件争議の経過を報道し、その一こまにおいて、本件大衆団交につき、「二百数十人に囲まれたわれらの監禁状態が、日夜を通じて延べ四十数時間の長きにわたり、その間、罵り雑言、暴力的吊しあげのかどで、生命身体の危険を感じる(事実、過労のため数人は倒れ入院した)ような、いわば心身喪失状態のなかで強引に組合側の要求を会社に承服させたもの」と言及し、時事解説も全く同一の文言、表現による記事を掲載していることが疎明される。しかし、右各記事によれば、後者の記事はそのニュースソースを全面的に前者のそれにおつているところ、日本新聞調査報の記事は、その文章の体裁、内容、六月一〇日号であるにもかかわらず六月一一日付組合あて会社文書をれいれいしくその内容全部を掲げているところからすると、右記事のニュースソースはあげて会社側にあるというのほかなく、(見方を変えれば、会社が同紙を利用して本件争議についての会社の見解を積極的にP・Rしたといえなくもない。)そうだとすると、会社は自らその社会的評価を低下させる内容を公表したものであるから、その公表による信用等失墜の責めを組合側に負わすことはできない。

(六)  第一次五十嵐事件

団体交渉における会社の代表を誰にするかは、組合との協約、労使間の慣行において定められている場合はともかく(申請人らは、神吉社長時代以来社長の出席は慣行となつているというが、丸尾社長の出席はいわば異常な当時の状況下における例外的な措置であり、他に右慣行についての疎明はない。)、一般に会社がその自由な判断において決定すべき事項であり、組合がこれに容喙する余地はない。したがつて、組合が団体交渉の会社側要員について自分の見解をいたずらに固執することは、その力を過信した態度というべく、本件は右態度の現われということができるが、その行為の態様においては、正当な組合活動の範囲を逸脱していると認めるべきものではない。したがつて、〈証拠〉によれば、本社の玄関ホール、駐車場は護国寺から江戸川橋に通ずる幅員二二メートルの音羽商店街に面しているから、本件が発生した時刻をも考え合わせると、外部に公表されたケースではあるが、会社の名誉侵害が生ずる余地はない。

(七)  第二次馬場事件、第二次五十嵐事件

(1)  本件争議の導火線が神吉社長の会社財産私物化の疑惑であり、二月一七日光労組の五項目要求以来会社経営陣の一貫した弱気ともいうべき姿勢が組合側の士気等を高めたことは否定できないとしても、いわゆる神吉体制につらなる役員はもはやおらず、同体制とは直接かかわりのない新経営陣が発足した局面を迎えながら、本件におけるように、多数の力で馬場取締役の行動の自由を奪つたうえ、一時間以上も多勢で取り囲み、悪口雑言などのかぎりをつくして騒然とした雰囲気の中で一方的に吊し上げたり、役員と会議中の社長室へ多勢で力づくで押し入り、四時間余りも社長以下四名の会社役員を社長室に缶詰めにしたうえ、多数の組合員が口々に交々怒号、罵声、脅し文句等を発したり並べたてたり、至近距離から撮影する嫌がらせなどもし、右時間社長室における業務を全く中断させた行為は、弁解の余地がなく、明らかに組合活動の枠を著るしく越えた違法な権利行使にあたるというべきである。

(2)  しかし、本件各事件が外部に公表された形跡のないことはすでに述べたとおりである。もつとも、〈証拠〉においては、大衆団交についての記事にあわせて本件両事件の内容が要約して報道されているが、これをもつて外部に公表されたとして組合側に責めを負わすことができないことは、大衆団交について述べたところと同断である。

(八)  第三次五十嵐事件

本件は、終始街頭において公衆の面前で行なわれたものであるが、その行為の態様は、通常ストライキに付随する対外的な情宣活動の域を出ておらず、講談社社長は会社の大株主であり、正当な組合活動である。

(九)  第二次社屋乱入事件

(1)  本件が発生した時間、場所、小林総務部長に対する吊し上げが三時間近くに及んでいることからみて、通行人、本社社屋への訪問者等不特定多数の人々が目撃し得るような状況の下でなされたものであることは、明らかである。そして、本件は、会社が八月一〇日ロックアウトを解除して業務の正常化に踏み切つた矢先での出来事であり、右吊し上げは執拗になされているから、少なくともその外形だけを把えてみれば、会社の名声を著るしく傷つける行為に該当するということができる。

(2)  会社がロックアウトを解除するに当り、第二次馬場及び五十嵐事件において端的に現われている闘争至上主義ともいうべき組合の態度、全光労組の結成に伴う組合との対立、以上による職場での紛争の再燃を懸念したのは無理からぬところであるが、自宅待機命令を発したといつても、すでにロックアウトを解除し、組合員に対する立入禁止等の仮処分を求めていない以上、組合員が本社社屋内で組合活動することまで禁止する効力はない。他方組合側においては、全光労組所属の従業員は全員就労しているにもかかわらず、組合員に対してのみ、単に、「全員いちどに就労できないから、いまその準備をしている。」という、具体的な理由に乏しい説明だけで就労を拒否され、更に、一部の組合員に対して就労が指示されることは、会社の組合に対する差別取扱いであるとともに牛蒡抜き的分断攻撃であると受け止め、右の不当性を訴えるビラを組合掲示板に掲げることは、会社施設利用の制約についてなんら疎明のない本件では、もとより組合活動として許容される範囲に属している。しかるに、小林総務部長は、自宅待機中の組合員がビラを貼ることは許されないという、法的根拠に乏しい一方的な見解に基づいてビラを除去したのであるから、組合が同部長の右措置に抗議するのは当然ともいうべく、本件は、かような会社側管理者の組合活動に対する干渉を契機として発生したものである以上、その行為を全体として評価する場合、いまだ正当な組合活動の範囲を逸脱しているとまではいうことができない。

(一〇)  玄関前暴力行為事件

本件抗議集会は、弁論の全趣旨によれば、前日の八月一八日決定された六月分賃金仮払仮処分の即時履行を求めるために開催されたものであることが疎明され、もとより正当な組合活動である。

(一一)  社屋乱入・職場占拠・営業妨害事件

(1)  本件は、前もつて準備されたビラの内容、支援団体からの応援者の参加、社屋侵入について会社側において挑発はもちろん責めらるべき落度はなんらないのに大挙して社内に侵入していることからみて、事前に企画されたスケジュールに基づいた行動ということができ(したがつて、光労組執行委員長である申請人福山は本件現場には参加していないが、本件の企画・立案に全く関与していない等特段の事情についてなんら反証がない以上、同人の幹部責任は免れない。)、その態様は、会社の施設管理権を排除して社内を傍若無人に行動し、就労中の従業員の業務を実力で妨害するものであり、組合活動の範囲を逸脱し、会社の名声を著るしく傷つける行為である。

(2)  本件は、発生した時間、行為の態様からみて、外部に公表され、その内容は少なくとも本社所在地界隈辺りに流布されたということができる。〈中略〉

(一三)  第一次、第二次会社構内デモ事件

本件は、その発生した時間、場所、行為の態様からみて、外部に公表されたものであるが、その内容は、一般に労使間に紛争が生じてストライキなどに入つた場合、通常行なわれている大衆行動となんら大差はなく、正当な組合活動の範囲を逸脱していない。

(一四)  第一次、第二次目白別館襲撃事件

(1)  労働組合がストライキなどの手段により使用者と闘争中に脱退して新らたな労働組合を結成しまたはこれに加入した組合員に対して、もとの労働組合に所属する組合員がいわゆる説得活動を行なう場合、これが非組合員とかもともと別箇に存在している労働組合の組合員に対する場合に比べて、相当程度強い態度をもつて臨むことはやむを得ない、といえよう。本件の場合、図式的にいえば、組合とくに光労組と全光労組の両組合員の関係は右の場合にあてはまるといえるが、本件が発生した当時は全光労組の結成からすでに三か月余り経過しており、弁論の全趣旨によれば、両組合はきびしい対立関係に立つていたから、右の図式をそのまま適用することは困難である。しかしだからといつて、両組合員はともあれ二か月余りの間同一組織に属してあい共に使用者に対して闘つてきた間柄であるから、前記非組合員等に対する場合と同様であると解することはできない。

本件説得・抗議行動は可成りの時間にわたり執拗に行なわれているが、相手方がこれを拒むなどの意思・態度を示したにもかかわらず、これを多数の威力で押えつけ排除して無理に行なつたものではなく、前述した説得活動の程度・限度の見地に立つてみた場合、正当な組合活動の範囲を逸脱しているとまではいえない。

(2)  本件説得・抗議行動は終始目白別館内で行なわれ、その内容・態様が外部に公表されたことの疎明はない。

(一五)  第一次ないし第三次社員入構阻止事件

本件は街頭での出来事であり、その発生時間と行為の態様からみて、外部に公表されたものであることは明らかである。そして、前述した説得活動の程度・限度の見地に立つてみた場合、多数で取り囲み、身体を押したり小突いたりして口々に激しく追及した点に、ある程度行き過ぎの嫌いがなくはないが、本件社前における紛争・混乱は、暴力団員を長とする会社側警備員が旗竿等を使用する等して暴力をもつて襲いかかり、力づくで組合員を排除しようとしたことに因るところが大であるから、会社の名声の著るしい侵害は、あげて右警備員の行動に起因しているというべきである。

(一六)  「闘争新聞」の編集・発行

(1)  被申請人が煽動的内容であると指摘している①ないし⑪の記事は、争議時であるため激越な文言・表現が使用されてはいるが、ひつきよう、本件争議における組合の基本的な姿勢、闘い方、その意義を組合員に徹底させ、より一層の団結と闘争意識の昂揚を図ろうとするものであり、闘争方法・戦術について違法行為をあふるものとは解せられず、団体交渉権、争議権の行使について労働者側に一方的に有利な解釈を強調している面もなくはないが、争議時という特殊事情の下においては、組合に対して許された言論活動の範囲を越えているとはいえない。

(2)  もともと、労働組合の言論活動は、通常は使用者との対抗、抗争の中で行なわれるものであるから、おのづからその内容が攻撃的あるいは激越な文言・表現になることは必然であり、とくに争議時においては、その程度が倍加され、使用者に対する侮辱的な言葉すら用いられることが稀れではなく、かような場合、非難攻撃される使用者その幹部の名誉、信用を毀損することを意図してななされた場場合は格別、そうでない場合は、ある程度やむを得ないと考えられる。更に、右言論が仮に非難等を受ける相手方に対して名誉毀損が成立するとしても、このことから直ちに使用者の名誉が侵害されその社会的評価が低下するということはできず、特定幹部に対する名誉毀損が、使用者に対する関係においてもその社会的評価を低下させるに足るべき内容であるかどうかを、改めて検討しなければならない。

以上の見地に立つて考えた場合、伊賀、黒崎両取締役に関する記事は、皮肉、もじりをまじえて戯作風に書かれているが、とくに侮辱的な記事とは解せられず、この記事が会社の名声を失墜するとはとうていいえない。しかし、近藤富士雄に関する記事は、同人が前掲疎甲第一号証の六から疎明されるように、昭和四三年九月会社が実施した管理者研修の講師を担当したことがあるとしても、第三者であり、本件争議になんらかの形で関与したと認めるべき疎明資料もないところ、右記事の内容は、悪意と侮辱に満ちた文言・表現に終始しており、同人の名誉を毀損することはもちろん、会社の名声をも失墜するものと解するのほかない。ただ、右記事が争議時に発行された組合新聞に掲載されたものであるという点において、会社の名声侵害の程度は「著るしい」とまで評価することは困難である。

(一七)  要約

以上検討した結果によれば、被申請人が懲戒事由に該当するとして指摘する数数の事例のうち、就業規則に定める「故意または過失、もしくは怠慢により、会社の名声を著るしく傷つけたとき」に該当するものは、八月二一日の社屋乱入・職場占拠・営業妨害事件の一件だけである。

五懲戒解雇権の濫用

前記社屋乱入・職場占拠、営業妨害事件は、前述したように、計画的で、会社側にこの事件の発生それ自体について直接の落度はなく、行為の態様も悪質であり、会社の名声を著るしく失墜する行為である。しかし、組合員に対する全員自宅待機命令、続いて組合員の一部に対する就労命令、更に、組合掲示板のビラの撤去、と会社側の一連の攻撃に対して、追いつめられた組合側が反撥し、反撃の行動に出たのはやむを得ないといえる面がなくはなく、いわゆる社屋の全面占拠といつても、午後一時四五分頃から同一時五〇分頃までの五分間位の短時間であり、玄関ホール付近から二階に上る階段あたりまで坐り込んだ時点(午後一時三〇分頃)からみてもせいぜい二〇分位の出来事であり、その間、四階で就労中の経理部員を除いて社員の大半は編集取材等のため不在であり、会社側の実力による制止を排除して敢行されたものでもない。

以上述べたような諸事情を考え合わせると、この一件だけを把えて懲戒解雇をもつて臨むことは、著るしく懲戒権行使の範囲を逸脱し、権利の濫用にあたるというべきである。仮に前述した近藤富士雄に関する記事が懲戒事由に該当すると考える余地があるとしても、前掲疎甲第一号証の六から明らかなように、会社は五月四日の大衆団交において、「昭和四三年九月管理職者を集め、極秘裡に開いた『館山会議』は、元日経連法規部長近藤某ら三人を講師に招き組合対策を目的としたものであつたことを認めます。」という内容の確認書を組合と交換し、前記記事が掲載された六月一日当時は、会社において確認事項の全面破棄を通告する以前であるから、以上の経緯を考慮すると、右記事をしんしやくしたとしても、前記結論に変りはない。

したがつて、本件懲戒解雇はいずれも無効であるといわざるを得ない。

六以上の次第で、本件懲戒解雇は無効であるから、申請人らはいずれも依然として会社の従業員としての地位を有しており、申請人らの月額基準内賃金がその主張どおりであり、毎月二五日にその月分が支払われる約であつたことは、当事者間に争いがない。したがつて、申請人らは被申請人に対し、その請求する昭和四五年一一月一日から前記金額の給与請求権を有している。

〈証拠〉によれば、申請人らはいずれも被申請人から支給される賃金により生活していることが疎明されるから、他に恒常的に就職して収入を得ている等の特段の事情がないかぎり、本案訴訟により救済を受けるまでの間、被申請人から従業員としての地位を否定され、以上の賃金のうち支払期の到来している分が即時に支払われず、また、将来生すべき賃金をその支払日に支払われないときは、生活に窮して著るしい損害を蒙るおそれがある、と一応認められる。

七よつて、本件仮処分申請は、いずれも被保全権利の存在及びこれが保全の必要性について疎明があるから、申請人らに保証を立てさせないで、主文第一、二項記載の処分を命ずるのを相当と認め、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎啓一 安達敬 飯塚勝)

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